アマチュア野球選手・指導者。通称「ミスターアマ野球」。
右投右打、ポジションは投手。背番号は18番。
1968年5月23日生まれ。和歌山県出身。
橋本高校から同志社大学卒業後、2001年、社会人野球の名門、日本生命に入社。
1992年、バルセロナオリンピックで日本代表に選出され、銅メダル獲得に貢献。
同年、都市対抗野球に出場、橋戸賞を受賞。
1995年、プロ野球、福岡ダイエーホークスから声がかかるも、五輪にこだわり、プロ入りを拒絶し続けた。
1996年、アトランタオリンピックでも日本代表に選出され、大久保秀昭とバッテリーを組み、銀メダルを獲得。
1997年、都市対抗野球に出場し、2度目の橋戸賞を受賞。
また、当時ニューヨーク・メッツ監督だったボビー・バレンタインが日本選手権を観戦。
杉浦のピッチングに感銘を受けて「メッツで投げて欲しい」とコメントしたが、杉浦は意に介さなかった。
2000年、シドニーオリンピックではプロ選手が参加することが確定しており、代表入りが困難視されていた。
しかし、その経験を買われ、主将として代表入りを果たした。
バルセロナ、アトランタ、シドニーと三大会連続オリンピック出場。アマチュア主体時代の日本代表チームの中心選手として活躍。
オリンピック通算5勝は、世界記録。
2001年、現役引退。
2002年、日本生命の投手コーチに就任。
2006年、監督に昇格。