我々のこころの中にはじつにさまざまな記憶が散らばっている。嬉しかったことや悲しかったことだけでなく、つまらぬことまで脳は憶えている。たとえば、猛スピードで走る車が目の前をよぎっていったときの印象だけではない。車がすっかり消え去ったあとの平穏な道の様子まで脳はしっかり憶えているものだ。 しかし、人に話すとしたらその出来事は「車がよぎった」ということになるであろう。そして「車が去ったあと」のことは語られず、頭の片隅にほうっておかれてしまうであろう。 村野四郎はそのような放置された無をひろいあげ、積極的に詩のかたちにした作家である。 「魚における虚無」 ぼくたちは自分の脂で煮つめられ 自分の脂に浮い…