昭和55年。私が東海大学落語研究部に入部した時。部室入り口の上にはベニヤ板で作られた「東楽亭」と言う大きな看板があった。 この看板はしっかりした橘流の寄席文字で書かれている。そのうまさは一目でわかる程だった。 この文字を書いたのは、14期の楽陳さん。寄席文字の上手さと、書く速さが伝説となっているOBだ。 元々「東楽亭」とは文化祭の時だけ使うもので、我々の亭号ではない(亭号は頭下位亭)。何故か文化祭の時だけ「東楽亭富士見寄席」と名乗って公演していた。 大学から富士山が見えるのでついたと思われるが、何故文化祭だけなのかは不明である。 私の入学時に委員長(部長)だった二代目・甘奈豆さん(三年)が、こ…