徳川家康には、11男5女がいたと一般には言われています。 そのうち、西郷局との子である秀忠は将軍家、そして3人の男子が御三家となり重要な存在になります。御三家の子どもたちは、家康晩年の子供ですので、その子供(家康の孫)と接することもなかったものと思われます。有名な水戸光圀も家康の孫になります。 一方、秀忠とお江との子供では、家光、千姫、忠長、さらに庶子である保科正之など、歴史の舞台に登場する人物も多いです。家光、千姫、忠長は家康が存命であった時に成長していた家康の孫になります。豊臣家との関係で翻弄された千姫は、1597年に生まれています。 その10年後、徳川秀忠とお江の五女として、1607年に…