江戸の侍・村尾正靖(号は嘉陵、1760-1841)が谷原村の東高野山長命寺(練馬区高野台)に出かけた時の道筋を歩いて辿った話の続き。練馬区富士見台四丁目(昔の谷原村)の通称「谷原の庚申塔」を過ぎたところから。 peepooblue.hatenablog.com 今は普通の郊外住宅地だが、昔は田圃の中の道だったのだろう。用水路の跡も残っている。そして、まもなく富士見橋で石神井川を渡る。この付近の石神井川は南から北へ向かって流れている。 富士見橋から上流方向を望む。昔はここから富士山が見えたということか。 今は建物に視界が遮られているが、昔はここから田圃の向こうの高台に東高野山の森が見えていたのだ…