弘治元年(1555年)〜慶長5年8月1日(1600年9月8日) 日本の戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。徳川氏の家臣。深溝松平家の第4代当主で、通称は又八(または又八郎)。後に主殿助を通称としていた。父は松平伊忠。 徳川家康に仕え、「東三河の旗頭」である酒井忠次の組下として活躍した。関ヶ原の戦いの前哨戦である伏見城の戦いで戦死した。彼の記した「家忠日記」は戦国武将の生活や当時の有力大名を知る上で貴重な史料となっている。