島津歳久(しまづとしひさ)は戦国時代に南九州で活躍した人物である。生年は天文6年(1537年)、没年は天正20年(1592年)。通称は「又六郎(またろくろう)」で、法号の「晴蓑(せいさ)」、官位の「左衛門督(さえもんのじょう)」、官位の唐名である「金吾(きんご)」、所領の「祁答院(けどういん)」で呼ばれることもある。 薩摩国守護で15代当主の島津貴久(たかひさ)の三男で、兄に義久(よしひさ、16代当主)と義弘(よしひろ)、母違いの弟に家久(いえひさ)がいる。 16世紀の後半に島津氏は南九州を制圧し、九州全土へと勢力を広げていった。その中で島津家の四兄弟の活躍はめざましく、歴史に興味のある人には…