――慷慨組と渋沢栄一らによる天朝組の挙兵計画―― 1 前稿20「若き日の渋沢栄一の転身」で、文久3年(1863・括弧内は「原注」とない限り筆者注)の渋沢栄一たちの挙兵計画については若干ふれた。しかし、同じ時期に隣村出身の儒者桃井可堂らによるもう一つの攘夷挙兵計画のあったことや、この計画と渋沢栄一たちのそれとの関連については一切記すことができなかった。そこで、本稿では桃井可堂らによる挙兵計画の概要等を中心に、渋沢栄一たちが策動したとされる計画との関係を一瞥することとした。なお、内容が前稿と多々重複することをご了承ください。 篠塚蓼州著『藍香翁』等一部の著書では、桃井可堂の一党は「天朝組」、渋沢栄…