1951年4月24日、桜木町駅(横浜市)行きの京浜東北線南行電車が、桜木町駅到着直前に、工事のミスで垂れ下がっていた架線に接触し炎上した鉄道事故。先頭車を全焼、2両目を半焼。死者106名。 事故後、戦時設計の「63型」車両の構造欠陥が避難を阻み犠牲者を増やしたといわれ、窓や貫通路の改造が急遽進められた(「72系」への改造)ほか、車両の材質も難燃性のものに変更された。(A基準の設定) 今はどの電車にもついているドアコックの扱い方の掲示が進められたのもこの事故がきっかけである。