アマチュア野球選手。
右投右打、ポジションは投手。
西日本短期大学附属高等学校(西短)の投手として活躍。新庄剛志の2年後輩。
1992年、全国高等学校野球選手権大会で福岡県予選から決勝まで、1人で投げぬく。
中村寿博と共に活躍し、優勝に導き、全国制覇を成し遂げる。
大会5試合中4試合を完封、準決勝の敦賀気比高校戦の1失点のみと言う大投手ぶりを発揮。
卒業後は新日本製鐵に入社。社会人野球の名門、八幡野球部で活躍。
1994年、日本代表に選出されるも、怪我で辞退。
1998年、利き腕の握力がなくなり、ひじを手術。復活を果たす。
2003年、八幡野球部の廃部により、退部した。
現在は新日鉄の社員として工程管理部門で働きつつ、八幡野球部OBを中心にした軟式チームでプレー。
また、高校野球福岡県大会予選の野球解説者を務めている。
福岡では今でも森尾の話題が出ることが多く、怪我に泣かされた運命に、
また、プロに入っていたら活躍していたかもしれない稀有な才能に惜しまれている。