八月十八日の政変に敗れ京都を追われた長州藩では、高杉晋作が身分に関わらず広く人材を集め奇兵隊を創設、表向きは幕府に恭順を装いながら来るべき反抗の準備を進めます。また久坂玄瑞、桂小五郎らは密かに京都に潜入し、長州派の公家と連絡を取り合っていました。 1864年8月、長州藩家老福原越後、益田右衛門介、国司信濃らに率いられた長州藩兵千数百名が京都に入ります。彼らは「藩主の冤罪を天皇に訴える」と称し御所に迫りました。蛤御門は会津藩が守っていましたが、御所に入れろ入れないで押し問答になり長州兵が強行突破しようとしたことから戦闘になりました。御所周辺の各所で長州兵と幕府方が戦闘に突入、多勢に無勢で長州兵は…