日本の輸送船。上方(伊丹、池田、灘)で生産された「下り酒」を江戸まで搬送した。江戸時代中期から、明治時代の中期まで用いられる、構造は菱垣廻船(ひがきかいせん)とほぼ同じで、弁才船と呼ばれる和船の一種。相違は、単一の商品(清酒)のみを取り扱うこととし、積み込みの合理化を図ることによって輸送時間の短縮を実現したところにある。 参考文献として、司馬遼太郎『菜の花の沖』がある。