大正九年十月の国勢調査に従えば、当時樺太――むろん南半、日本領――に居住していたロシア人の総数は、ギリギリ三桁に届かない、九十九人だったとか。 明治三十八年のポーツマス条約締結時、つまりこの地が「日本」になった直後では、およそ二百人ほどがあくまで居残ることを選んで引き揚げを拒絶したというのに。指折り数えて十五年、ずいぶん減ったものである。 (Wikipediaより、樺太の残留ロシア人) まあ、あと何年かしたならば、革命で祖国に居場所をなくした、いわゆる「白系ロシア人」らが東の果てのこの地にもはるばる流れ着いてきて、少しは人口恢復に寄与してくれる次第であるが。 とまれかくまれ、「丸太作りの小屋に…