文化13年11月3日(1816年12月21日)〜明治24年(1891年)7月1日 日本の武士。三河奥殿藩の第5代藩主の松平乗尹の子で旗本の永井尚徳の養子となった。 幕末期にあ長崎海軍伝習所総督、初代外国奉行、初代軍艦奉行を歴任するが安政の大獄で免職。後に復活して将軍徳川慶喜の下で若年寄となった。大政奉還後は箱館戦争などに参加して敗北。明治政府では開拓使用掛や元老院権大書記官などを務めた。
覚悟の人 小栗上野介忠順伝【電子書籍】[ 佐藤 雅美 ]価格: 726 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 三河以来の名門旗本に生まれた小栗忠順は、子供の時から文武に秀で、また胆力もあり将来が嘱望されていた。しかし自己主張が強く、時に周囲から煙たがられる存在でもあった。33歳の時日米通商修好条約の調印のため、目付(監察)として渡米するが、その時密命を受ける。銀の交換レートが不公平のため、日本では極端なインフレーションが進んでしまったため、是正するように、ということだった。 小栗は、目付では交渉する権限がないとして難色を示すが、為替の交換レートとその影響を正確に理解できる者は使節団にはいなかったた…