児玉花外は、中島孤島が学校卒業後も長きに渡って交流を持っていた友人の一人である。 花外は、孤島より4つ年上の明治7年生まれで、孤島よりも2年早い1894(明治27)年に東京専門学校文学部に入学するが、3年後に中退し、社会主義詩人として詩壇に出た。その作風に孤島は大いに啓発を受けたともいわれている。 児玉花外が孤島宛に書いた書簡の文面からは、孤島と花外の友人としての関係が推察できる。 ゛先日は失敬した。久方振で同人と會つて僕は無性に娯しく、遂ひ近来にない醉方をやつたのサ 確か君と一緒に帰つたと薄々覚えてゐる、よく小日向に居(お)つた時君に連れられて居つた江戸川畔を思出す ” この書簡は大正時代に…