中国明代の軍人。文禄の役の時に明の遊撃軍の将軍付きの使節として朝鮮に派遣され、日本側の小西行長や宗義智らとともに和議交渉を持続したが欺瞞外交によって、アジア各国の混乱を大きくした。また、明の使節として日本を訪れ大坂城で豊臣秀吉に面会もしている。しかし、欺瞞外交が露呈して朝鮮への再出兵を招いたため、明に帰国後、万暦帝の勅命によって北京で公開処刑された。