中国明代の軍人。文禄の役の時に明の遊撃軍の将軍付きの使節として朝鮮に派遣され、日本側の小西行長や宗義智らとともに和議交渉を持続したが欺瞞外交によって、アジア各国の混乱を大きくした。また、明の使節として日本を訪れ大坂城で豊臣秀吉に面会もしている。しかし、欺瞞外交が露呈して朝鮮への再出兵を招いたため、明に帰国後、万暦帝の勅命によって北京で公開処刑された。
安土桃山時代の出来事を年表にまとめた。 安土桃山時代 は 日本の歴史の時代区分の一つである。 前は 室町時代 後は 江戸時代 関連記事 安土桃山時代の概要 安土桃山時代の文化 安土桃山時代の出来事 1557年 (弘治3年) 正親町天皇 即位 1568年 (永禄11年) 9月 織田信長 が 足利義昭 を奉じて 上洛 1568年 (永禄11年) 11月 足利 義昭 15代将軍に 1569年(永禄12年) ルイス・フロイス 来日 1570年 (元亀元年) 石山合戦 1571年 (元亀2年) 比叡山焼き討ち 1573年 (元亀4年) 7月槇島城の戦い 1573年 (天正元年) 9月 一乗谷城の戦い 1…
『どうする家康』第39話(太閤、くたばる)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。 まず良かった点は2つあります。1つ目は、これまで不在だった酒井忠次のその後を描いていた点です。まさか家督を息子に譲って隠居していたとは知りませんでした。小田原城攻めに参加していなかったので、どうしたのかと心配していましたが、静かに晩年を送っていたようで安心しました。そして、最後に秀吉ではなく家康こそが太平の世の中をつくる資質があることを諭す演出も良かったと思います。 良かった点の2つ目は秀吉役ムロツヨシさんの鬼気迫る演技です。秀吉の晩年は褒…
7月10日、晴れ。 朝食としてご飯とふりかけ。 昼ごろに院生室へ。いきなり手違い発生。 予定をあわせるために関係各所と連絡。 昼食は学食のカレーとサラダ。 論文1本、沈惟敬に関するもの。 翌日の登山についても相談し、山までは自分の運転で行くこととなった。 夕方。登山に耐える足があるかを確かめるために、大学から土浦まで徒歩にて帰宅。およそ13kmほど。夕食として、回転寿司(6皿+デザート)。 帰宅後、すぐ寝た。
日本人と中国人を比較した場合、どういう特徴が挙げられ、どんな考察ができるでしょうか? このブログは日本人の読者を対象に考えているため、日本人の特徴より、日本人にとってあまり付き合いのない現代中国人の特徴の方が、より深く知りたいところだと思います。なので、まず中国人の特徴を上げ、その次にその中国人と比較した日本人の特徴を指摘し、その後で比較してみようと思います。 中国人の特徴としてその融通が利く臨機応変な知恵が挙げられると思います。中国人はアイデアマンです。ひとりひとりがコンサルタントと言ってよく、枠にとらわれないで自由かつ実用的な発想で行動します。また中国の社会がいろんな意味でゆるいので、中国…