・寛平9年(897) 7.3 宇多天皇は譲位し、敦仁親王が践祚した(醍醐天皇)。宇多太上天皇は、藤原時平と菅原道真に対して、醍醐天皇を補佐するよう詔した。(『日本紀略』) ※当時、租税の未進が深刻な問題になっていたほか、班田収授が行われなくなったため、国家財政が危機的な状況になっていた。道真は受領の経験があったため、醍醐天皇の補佐として国政改革にあたらせたのだと考えられる(倉本一宏『はじめての日本古代史』)。 ・寛平9年(897) 7.3 譲位に際して、宇多太上天皇は新帝に、公事儀式と任官叙位における心構えと、人物評により構成される『寛平御遺誡』を授けた。 ※醍醐天皇に対して、「外蕃」つまりは…