「お父さん、もう土岐のやまには、どこにも仕事をするところがないの?」 「うん」 「じゃあ、土岐はすっかり緑になってしまったのね」 「うん、そうらしいな」 「それじゃ、いままで現場で働いていた人たちは、これからどうなさるの?」 「・・・」 これは、役所の仕事をあまり話したがらない夫と私の会話で、いつも最後は夫のだんまりで打ち切られてしまいます。 夫は、土岐治山事業所に入って十八年もの長い間、転勤を知らずに治山の仕事に携わってきました。私はそのうちの十二年間を共に暮らしてきた訳です。 煙たなびく土岐市に最初に下り立った時、一番賑やかな駅前通りでは陶器の姿を見ることが出来ませんでしたが、街外れに一歩…