お墓に咲いていた鶏頭です。コンクリートの間から必死に伸びていたので、取ってしまうのが少し可哀そうでした。 僧侶にはさまざまな役割がありますが、布教は中でも重要なものだと考えています。私を僧侶にしてくれた最初の師僧は、浄土宗西山派(西山浄土宗)きっての説教の名人でした。不肖の弟子の私が、おぼつかない足取りで「説教師」の道を歩み始めた時、師僧は「一人でも、二人でも聞いて下さるかたがいるのなら、お話させてもらいに行きなさい。」といつもおっしゃっていました。 というわけで、私は機会があればいつでもどこへでもでかけます! さて、先日ご近所の葬儀会館の方から、「出張法話会」というのをやるので、出張して欲し…