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浄厳

(一般)
じょうごん

寛永16年(1639年)から元禄15年(1702年)まで活躍した真言宗の僧侶。
俗名は上田、字名は覚彦(かくげん)という。
号として妙極堂、瑞雲道人、虚白子、雲農などがある。
真言宗の法流の1つである新安祥寺流(新安流)の開祖。
後述するようが高野山にて怨讐のため刃傷を負い下山し、5代将軍徳川綱吉の帰依を受けて江戸湯島に霊雲寺を建立する。
形骸化にあった真言宗の教学と修道論を統合し、真言宗における戒律は「有部律」であると宣揚した。
浄厳の後世に与えた影響は凄まじいものがあり、現在の真言宗における教学は無自覚的に浄厳の思想を汲んでいる部分が多い。
また修道論(事相)に関しても論理立てられており、特に『別行次第秘記』は学術的にも多く引用され評価が高い。

略歴

慶安元年(1639年)高野山悉地院雲雪を師として出家
明暦元年(1655年)高野山南院良意に従って中院流にて四度加行
同2年(1656年)金剛山実相院長快に従って中院流の両部潅頂に入壇
同3年(1657年)雲雪の示寂に伴い高野山釈迦文院朝遍を師とする
万治元年(1658年)良意より安祥寺流(安流)の許可
寛文元年(1661年)安流にて伝法阿闍梨位潅頂に入壇、同流の正嫡となる
寛文7年(1667年)朝遍より安流の許可を受け、同師より伝法阿闍梨位を重受
寛文10年(1670年)頼周の怨讐により刃にて切られ高野山を下りる
寛文12年(1672年)『胎界初行私記』を書す
延宝元年(1673年)『十八道初行作法』『不動初行私記』『金剛界初行私記』を書す
同年(1673年)和泉神鳳律寺快円に従い菩薩戒を受け、浄厳と改名
延宝2年(1674年)仁和寺尊寿院顕証に従って西院流四度加行結願、真乗院孝源に従って許可加行を始め許可を受く
延宝7年(1679年)『通用字輪観口訣』を書す
延宝8年(1680年)『受法最要』を書す
天和3年(1683年)『別行次第秘記』を書す
貞享3年(1686年)『初行作法安流』を書す
貞享4年(1687年)『胎蔵界念誦次第』を書す
元禄2年(1689年)『随行一尊供養念誦要』を書す 
元禄3年(1690年)『真言修行大要鈔』を書す 
元禄4年(1691年)『大日経随行一尊供養念誦儀』『息災護摩私記』『行法軌則』を書す
元禄7年(1694年)『随行一尊供養念誦要記私鈔』を起草
元禄9年(1696年)『金剛界供養念誦要法』『真言行者初心修行作法』『随行一尊供養念誦要記私鈔』第1巻を書す
元禄10年(1697年)『七支念誦随行法』を書す
元禄11年(1698年)『護身法口訣』を書す
元禄12年(1699年)『七支念誦随行法口訣』『随行一尊供養念誦要記私鈔』第2巻を書す
元禄13年(1700年)『随行一尊供養念誦要記私鈔』第1巻を再治『随行一尊供養念誦要記私鈔』第3巻を書す 

参考文献

上田霊城編『浄厳和尚伝記資料集』

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