中世の糠部(ぬかのぶ)は、一国に相当するほどの広大な領域でした。郡域は一戸・二戸・三戸・四戸・五戸・六戸・七戸・八戸・九戸の九つの「戸(へ)」と、南・北・東・西の「門(かど)」の行政区に分かれていました(九戸四門の制)。鎌倉時代、糠部は北条得宗領であり、後に糠部に定着し一族を拡げた南部氏は、甲斐国巨摩郡南部郷(山梨県南巨摩郡南部町)を本領としていました。その一族が、鎌倉時代末期までに、北条氏配下の給主として、糠部の何れかの地に赴任していたと考えられています(新編八戸市史通史編1)。 浄法寺は糠部の南西部、西門(にしのかど)にあたり、外ヶ浜に向かう奥大道(おくだいどう・おくのおおみち)にも接して…