the Navy Ministry(日
海軍に関する軍政事務を行う省庁。戦前日本には存在したが現存せず。
現在、多くの国では「国防省」を設置し、単一の国防大臣の下に陸海空軍を置いていることが多い。 アメリカにはDepartment of the Navyという名称で海軍省が現存しているが、これも国防長官/国防総省の下に存在する一部門であって、独立した省庁ではない。
殿下は理由は定かではないが、かねてから自身の功四級金鵄の叙勲について強く拒絶をしていたようだ。昭和17年3月21日の日記には、 今朝ノ新聞ニ私ガ功四級ヲイタダイタ記事アリ、昨日モ人事局長ニ昨日ハ陸軍ノ皇族ノ叙勲ガ出テヰタノデ、私ニツイテハ従来ノ考ヘト同ジデ今度ノ軍令部一課ニヰルコトニツイテモ金鵄勲章ニ擬賞セヌ様ニ意見ヲ述ベタノニ、今度ノ功四ニツイテハ何ニモ云ハヌノデ安心シテヰタ処ダツタ。不親切ト云フカ無責任ト云フカアキレテシマフ。早速賞勲局総裁ニソノ説明ヲ求メタ。(高松宮日記第四巻P187) とあり、従来から自身の金鵄叙勲について否定的であったようだ。なおこの時の功四級金鵄叙勲は「宣仁親王略御…
◎エニグマ(暗号機) エニグマ (Enigma) とは、第二次世界大戦でナチス・ドイツが用いたローター式暗号機である。幾つかの型がある。暗号機によって作成される暗号も広義にはエニグマと呼ばれる。名称はギリシア語に由来し、「謎」を意味する。 エニグマ暗号機 エニグマ暗号機は、1918年にドイツの発明家アルトゥール・シェルビウスによって発明された電気機械式暗号機械で、1925年にはドイツ軍が正式に採用。続いてドイツ政府や国営鉄道なども採用し、3万台以上を販売した。 暗号方式は換字式であり、詳しくは順変多表式である。エニグマはM-209(英語版)と同様な反転暗号となり、暗号文を同じ鍵で再暗号化すると…
注:このサイトはブログという性質上、最新記事が常に上位に来ます。一気読みしたい方は記事番号殿下01から順にお読みください。 いえーい、ニセ華頂殿下とその信者ども、見てるぅぅ〜? さてさて、ここに来てニセ華頂殿下の曽祖父の名前を私が知ることとなった。おっと、言っておくがもちろん伏見宮博恭王殿下のことではない。これはもう決定的な情報で、ニセ殿下の妄想もここらへんでそろそろ終わりだろう。はい、おしまーいw ニセ華頂宮バカ殿下博一こと岡崎祐一だが、彼はすでにネット上で自らの実名と祖父の名前を公表しているのは、私がこれまでに暴いてきた通りである。父が岡崎博祐、祖父が岡崎秀夫である。先日Xのフォロワー様が…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 小国日本は、江戸時代後期から続くロシアの日本軍事侵略に対す積極的自衛戦争に勝利する為に軍国主義に暴走した。 ・ ・ ・ 2023年10月22日 YAHOO!JAPANニュース 毎日新聞「短命ながら後世の日本に絶大な影響を与えた幕府海軍、誕生と内戦投入、解体を丹念に―金澤 裕之『幕府海軍-ペリー来航から五稜郭まで』磯田 道史による書評 『幕府海軍-ペリー来航から五稜郭まで』(中央公論新社) ◆誕生と転換、内戦、解体を丹念に 幕府海軍は短命だった。存在したのは十三年ほど。旧幕府艦隊とし…
何故、およそ勝てそうもない大国アメリカに戦いを挑んだのか 当時の兵士をも含めた国民(主に明治大正生まれ)は軍国主義に踊らさ れて何も見えない愚か者であった ? 彼らはその人格や見識において、今日の我々ほどではなかった ? 三島由紀夫研究会 伊 藤 英 樹 勝敗の大勢には影響がないのに、『なぜ、「特攻攻撃」を仕掛けたの か。』 そもそも、勝つ見込みがないのに、『なぜ、対米戦を挑んだのか。』 真珠湾攻撃の年、すなわち昭和16年(1941年)の4月に当時の帝国政府は「総力戦研究所」を立ち上げた。それは大蔵省、商工省といった省庁のエリート官僚、陸軍省の大尉、海軍省の少佐、さらには日本製鉄(のちの新日鉄…
なかなかツラい本を入手しました。少年兵募集に重点を置いた雑誌『海軍』の創刊号です。(昭和19年5月/大日本雄弁会講談社)。表紙には「戦場は君たちを待つ」の文字が…… 昭和19年5月『海軍』創刊号(大日本雄弁会講談社) 目次を見ると、「海軍省人事局」「大本営海軍情報部」をはじめとして、海軍関係者がずらり。もはや雑誌というより、海軍省の募集パンフレットに、小説や漫画がのっているイメージです。『社史に見る太平洋戦争』によれば、昭和19年講談社は 海軍省後援の『海軍』、陸軍省後援の『若桜』の両誌を創刊した とある。戦局の悪化でいろいろな雑誌が休刊しまくっている状況で、新たに創刊された雑誌は軍のリクルー…
2011年12月10日発行 目次 プロローグ 「本所の勝麟」ぶらぶら記 第1章 苦心惨憺の“その日”まで 第2章 「虎穴に入らずんば」の横浜行 第3章 空しくなった最後の大芝居 第4章 静岡-東京 行ったり来たり 第5章 ふたたび西郷どんとともに ・プロローグ、は著者が勝海舟に縁ありとしてぶらぶら歩いた、両国公園「勝海舟生誕之地」の石碑、墨田区役所うるおい広場の勝海舟銅像、能勢妙見堂、牛島神社、弘福寺、三囲神社のことが書かれている。 ・勝海舟の「慶応四戊辰日記」に官軍という言葉が出てくるが、著者は官軍と言わず「西軍」と言い切ってほしい、慶応4年1月5日、東西両軍が激突した賭場伏見の戦場に、西軍…
太陽さんが元気をくれる😃 おはよう太陽さん🌞 今朝は晴れ🌞 昨日は雨 船のメンテナンスに出掛けていたが 小樽も雨☂️ かなりの雨で 夕張も全部 紅葉が少し残念 夕張紅葉山と言うだけあり かなりのもの 北海道は幸せだと思う 小樽の海鮮丼は安くて美味いところがある 市場街の入り口なのに みんな奥まで入りたくなるから 不思議と誰も入らない だけど店主自ら 外に出て説明 商売はこんなことが 大切だと思う そんな一生懸命に接客されたら おいらは無条件で入店 飯の量が多くて 大盛りにしなくても良かったかも? 見た目は皿盛りだけど 皿が深くなっていた なかなか裏切る こんな裏切りは嬉しい 床をフランス石鹸で…
大阪唯物論研究会会員 岩 本 勲 デマをトップ記事で報じる1923年9月3日付の東京日日新聞 8月初旬に、「関東大震災100周年 —— そこから何を学ぶべきか —— というタイトルで小冊子を発行した。その後に映画『福田村事件』の公開があり、また主要マスメディアが関東大震災100周年関連の主張や論評を掲載・放映したことを受けて、それらについての論評を「補遺1」として発表した。 それらに対して友人諸君から批評を頂いたり、私が未読の文献の紹介を受けたりした。その中に貴重な資料が多数含まれており、ぜひ多くの人にその内容を知ってもらいたいという強い誘惑にかられた。そこで参考文献の紹介を中心に、「補遺 そ…
地下壕の内壁の朽ちた鉄扉(2023年10月8日午後2時撮影) 神奈川県横須賀市の京浜急行線「追浜(おっぱま)」駅から東京湾に向かって真っすぐ30分ほど歩くと、右手に1981年に市が開設した「貝山緑地」という小高い丘があります。 その地下に、巨大な施設が今も残っているんです。 アジア太平洋戦争末期に造られた地下壕です。「貝山(かいやま)地下壕」と呼ばれる軍事施設です。 貝山地下壕は横須賀海軍航空隊の防空壕でした。 市民ガイドによるツアーに2023年10月8日に参加して、地下壕の一部を歩いてみました。 目次 横須賀海軍航空隊とは? 何のためにだれがいつ掘ったのか? 実際に使われたのか? 地下壕の中…
江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)253レジャーの制約が進む 昭和十八年冬 元日の新聞Aは、東條首相の決意「益々攻勢を持続」が一面を飾った。二日Aは「交わす合言葉も逞し“米英を撃滅しよう”戦ふ新年・虚礼を捨て必勝へ進発」との見出しで、「“勝つて、勝つて、勝ち抜いて敵を降参させませう”と全国民が氏神の前に誓ふ」とある。 実際は、正月、ニューギニアでブナの日本軍全滅。二月、南洋方面の要、カダルカナル島から撤退。三月、ダンビール海峡で日本輸送船全滅。惨憺たる日本軍の被害は国民に伝わっていない。 市民レジャーは、朝風呂が無くなるだけでなく、色々な切符制が始まる。映画館劇場の節電休館がはじまり、「物見や…
今日は熊谷登久平の122歳の誕生日。 「熊谷明子さんをはじめ、丸井隆人さん、松山庭園美術館、太平洋美術会の協力を得て、㊗️芸工祭前半企画2023.10.4から10.15上野の森を巡る画家たち展開催いたします。 聞けば、芸工祭とは100年以上も続く谷根千地域をあげての歴史ある祭りだそうです。 今回は清水町(池之端四丁目)ゆかりの画家大河内信敬、望月春江、丸井金猊らをクローズアップに、上野不忍池の石碑のある長谷川利行、熊谷登久平から絹谷幸二のエピソード話、真島町にありました太平洋美術会会長の堀進一、朝倉彫塑館の朝倉文夫、木内 克らの彫刻家の活躍を紹介していきたいと思います。 皆様のご協力のもと、お…
連合国軍占領下の日本 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 日本国 日本國 ← 1945年 - 1952年 → (商船旗[注釈 1]) (国章) 国歌: 君が代 0:59 色が塗られている範囲が連合国軍占領下の範囲である。 公用語 日本語(事実上) 首都 東京都(事実上) 連合国軍最高司令官 1945年 - 1951年 ダグラス・マッカーサー 1951年 - 1952年 マシュー・リッジウェイ 天皇 1945年 - 1952年 昭和天皇 内閣総理大臣 1945年 - 1945年 東久邇宮稔彦王 1948年 - 1952年 吉田茂 変遷 ポツダム宣言受諾 1945年8月…
'23/09/28 【ウィキペディア版】 :初代ロムニー伯ヘンリー・シドニー(英語: Henry Sydney (Sidney), 1st Earl of Romney PC, 1641年4月8日 - 1704年4月8日)は、イギリスの貴族・軍人。第2代レスター伯ロバート・シドニーと第9代ノーサンバランド伯ヘンリー・パーシーの娘ドロシーの息子。兄に第3代レスター伯フィリップ・シドニー、アルジャーノン・シドニー、姉に初代サンダーランド伯ヘンリー・スペンサーの妻ドロシーがおり、第2代サンダーランド伯ロバート・スペンサーは甥に当たる。 --------------------------------…
日本人はなぜ戦争へと向かったのか: メディアと民衆・指導者編 (新潮文庫) 作者:NHKスペシャル取材班 新潮社 Amazon 1931年(昭和6年)の満州事変から太平洋戦争へと至る歴史の中でどうにも理解に苦しむのは、陸海軍がともに勝ち目がないと考えていたはずの米国との戦争に、なぜ踏み切ってしまったのかという点だ。 戦後、陸軍と海軍はそれぞれに有志が集まって反省会を行った。陸軍の反省会の内容は、財団法人偕行社の機関誌「偕行」に、1976年(昭和51年)から1978年(昭和53年)にかけて「大東亜戦争の開戦の経緯」として15回にわたって掲載された。 海軍の反省会は1980年(昭和55年)から19…