「一無所知」を涅槃として誤認するという、この問題は、更に多くの説明を必要とするかも知れない。 涅槃は「離諸行」(visaṅkhāra)である。 諸行(saṅkhārā)は、すなわち、名色法及びその因であり、涅槃とは、すなわち、それらの不存在である。涅槃を了知する心は visaṅkhāragatacitta(離諸行に趣向する心)と言うが、しかし、それ自身は決して「離諸行」ではなく--己自ら涅槃を見るのは、猶、心行によって完成するものである。 例えば、仏陀または阿羅漢聖者が、果定に入り、かつ、涅槃を知見する心は、相応の心所を随伴する所の阿羅漢果心(arahattaphala-citta)である。 …