大阪城内に、大坂夏の陣で大阪城の落城と共に命を落とした淀君、そして淀君と命を 共にした32人の忠霊塔があります。 (1615年大坂城落城) 豊臣秀吉が建てた大阪城は、秀吉の死後、長男の秀頼と、その母淀殿が住んでいました。 しかし、江戸時代初期、1615年に起きた大坂夏の陣で、大阪城は徳川軍に攻められ、 追い詰められた豊臣秀頼と淀殿が、大阪城天守閣の北側にある山里丸にあった櫓に ひそみ、自害します。 自害地近くに「淀君並殉死者三十二名忠霊塔」があります。 上から見ると堀の近くにあるのがわかります。 下に降りると、写真の左に見える石垣が山里曲輪石垣で、その先にあります。 下の写真の青で囲んだ部分で…