アダムとエバは、神からなぜ善悪の知識の実を取って食べたのかと問われました。するとアダムは女が私に木の実を渡したから食べましたと弁明しました。エバは、蛇が食べても大丈夫と言ったから食べたと弁明しました。二人とも自分の罪を正直に認めず、責任転嫁をしました。彼らの心はずるさで汚れてしまいました。 罪からの救いを考えるときに、私たちの心の汚れも問題となります。私たちの心は罪へと傾いています。パウロはガラテヤの手紙5章で、私たちの心の汚れについて語ります。 「姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです」。 これら…