けこの偉大なる真理をよけいに蔵しているのである。なぜなれば、彼らのうちでも金のある富農《クラーク》や百姓泣かせの連中は、すでに大多数堕落しているからである。これは主として、われわれの不注意、不行届きから起ったことである! しかし、神は自分の赤子《せきし》を救って下さるに相違ない、なぜならば、ロシヤの偉大はその謙抑に存するからである。余は空想の中にわが国の未来を見る。いや、もう現に明らかに見えるような思いがする。すなわち、最も堕落せる富者さえも、ついにはおのれの富を恥ずるようになる。すると、貧者はこのへりくだった態度を見て、その心持を理解して彼に譲歩し、悦びと愛をもってその美しき羞恥に答えるであ…