日本の植民地であった〈満州〉で発行されていた邦字・日刊新聞。日露戦争直後,1905年10月25日,現遼寧省大連市で創刊された。27年11月1日,《遼東新報》と合併,紙名を《満洲日報》と改題。35年8月,同じく有力な競争相手であった《大連新聞》(創刊1920年5月5日)を併合,再び紙名を《満洲日日新聞》にもどす。38年12月1日,本社を奉天市(現,瀋陽市)に移し,大連支社発行のものを《大連日日新聞》と改題,敗戦にいたる。
大連、鉄嶺、瓦房店、大石橋、遼陽、奉天、昌図、公主嶺、長春、安東縣、鶏冠山、橋頭。 大正四年、日本人の経営に依る南満州鉄道で駅弁を売っていた駅は、なんとたったの十二ヶ所。上に列(なら)べた十二の駅で、金輪際全部であった。 (あゝ満鉄) 何故そんなことが分かるのか。 単純明解、調べた奴が居たからである。 南満州鉄道の駅弁を片っ端から食べ比べ、ランキングを作ろうと――。妙な情熱に取り憑かれ、現に実行に移してのけた物好きが。 一月三日から二十一日に至るまで。――三週間弱を費やし、彼はその挙を成就した。 駅弁ロマン、あるいは大正時代の孤独のグルメ。「食」に対する日本人の関心は、ときに偏執の鬼相を帯びる…