源義親の乱(みなもとのよしちかのらん)
平安時代中期、源義親が起した反乱。源義家の子の義親は九州での狼藉により隠岐国へ流刑された後、出雲国へ落ち、目代を殺害、反乱を起こした。源氏は棟梁の義家の死後、一時的に勢力が衰退、白河法皇は伊勢平氏の平正盛を派遣し、反乱を鎮圧した。義親の首は京都で梟されたが、生存の噂が絶えず余波が続いた。反乱後、河内源氏では内訌が続き大きく凋落する一方、武名を挙げた正盛は北面の武士に登用され、伊勢平氏が台頭。康和の乱、源義親追討事件とも言う。