「亡びるね」 漱石の『三四郎』は明治41年9月1日から12月29日まで朝日新聞に連載された。冒頭、三四郎が列車で上京する場面で、前の席に座った爺さんは「・・・自分の子も戦争中兵隊にとられて、とうとう彼地で死んで仕舞った。一體戦争は何の為にするものだか解らない。後で景気でも好くなればだが、大事な子は殺される、物価は高くなる。こんな馬鹿氣たものはない。・・・」と語る。翌日、乗り換えた列車で会った水蜜桃の男性(廣田先生)は「いくら日露戦争に勝って、一等國になっても駄目ですね・・・」と云う。三四郎が「然し是からは日本も段々発展するでせう」と弁護すると「亡びるね」と云った。 明治41年は、日本が日露戦争…