こんな企画を思いつくのは何処の誰(どいつ)であったろう。 少なくとも和井内家の人間ではない。 昭和の初め、結構な数の潜水夫らを駆り催して、十和田の湖底をしきりに浚ったやつがいた。 (十和田湖) 賽銭の回収が目的だった。 そういう習俗があったのである。銭や米を包んだ紙を、十和田湖めがけて投げ入れて、沈んでいく様子によって吉凶を占う、というような――。 令和の世にも「おより紙」の名の下に根強く残る信仰である。 「その根強さを、正確に知りたい」 と、好奇心を疼かせた何者かが居たようだ。 試みは三年に亙って継続された。 が、十和田湖の底は浅くない。 相当深い。最大深度326.8m、これより深い湖は、日…