宝永1年10月3日。申(午後3時)前から文左衛門は小一と甚五右へ出かける。絵図を校考(調査)する。そして牛の玉(牛黄)を見る。大きさは小さな柑子(こうじ)ほどで丸くて白い毛で覆われており、毛の中に少し肉の塊がある。手の中に置くとぬくぬくとしており、とても温かであった。寛文5巳2月2日の風雨が激しい日であったが、晴れた申刻(午後3時)に甚五右衛門の父朝岡伝蔵が庭前に出ると、石手水鉢の上にこの玉が不意に置いてあった。すぐに拾い上げこれを重宝(貴重な宝物)とする。同10日甚五右衛門が生まれる。伝蔵が自筆で記した書付もある。夜食を給わり、子刻(午後11時)に帰る。