こう聞かして貰って考えて見ますと、来世などは無いと云うて居る訳には行きません、例へ口で云うて居ても、事実が左様になって来たら、事実が人の心を得心させて行きます。それ所か、我が口から我が事を云う様になるのであります。 そのかわりに人間が、其の反対に善い行いをして、人を助けて置いたら、次第に神樣に近づかして頂けるのであります。世の中には人の為に働いて、我が命を捨てた人が沢山ありますが、其の人等は皆神樣のとして祀られて居るのであります。又教祖も神の交わりさして貰いたいというて、神に近づく道を教えられたのであります。 左様考えてみますると、人間と云うものは、一方に進めば牛馬の道に行き、一方に進めば神様…