宝永7年6月19日。卯刻(午前5時)、文左衛門は白林寺を詣でる。修理の妻の七日であった。菓子などが出て巳半(午前10時)に終わる。昨日は巳(午前9時)から昼までであった。文左衛門は直ちに犬堂へ出かける。夕食を食べ、夕暮れに帰る。通所へ寄って見たところ、少し前に主馬殿が内証で造らせたと云々。内陣及び下陣の天井、その他柱を金薄(箔)で張り、内陣のよせしき(寄敷)を真鍮で張り、とても見事なものであった。
宝永6年10月14日。文左衛門は辰半(午前8時)前から瀬左・平左と橘町へ出かけ、まず若宮で弁当を食べ、その後犬堂で弁当を食べ、七ツ寺でならちゃ・あんもちなどを頂き、申半(午後4時)過ぎ市へ立ち寄り、夜、うどん・吸物・こち・小なよし・やき物など酒や食事で腹がいっぱいになり、戌半(午後10時)に帰る。屏風1双を1両3分2朱、たんすを2分2朱で買い求める。