『日本書紀』に蘇我蝦夷が祖廟を建てたとする葛城の高宮を歩いた。その位置は明確ではないが、この辺りでは南郷遺跡群と呼ばれる縄文から室町にかけての集落跡が見つかっている。まずは極楽寺ヒビキ遺跡を目指した。葛城御歳神社。トシの語源は稲作の1サイクルを言うらしい。トシの付く神社は稲作の神と見てほぼ間違いない。 南郷遺跡群のある辺りは金剛山麓の高台となっていて原始から人の暮らしがあったのであれば、ここが葛城高宮であったと私は思っている。『和名抄』に見える葛上郡高宮郷はここから少し北の奈良県御所市森脇・宮戸付近と考えられているので、位置は少しずれる。 高田から五条へ行くバスに乗って見ると、宮戸橋バス停辺り…