今回は日本最初の本格的な寺院である法興寺(飛鳥寺)の建設時、日本は百済から技術者たちを呼んできた。百済から来ていたペルシア人(イラン人)たちを紹介する。 ■法興寺(飛鳥寺)588年、百済から仏舎利(入滅した釈迦が荼毘に付された際の遺骨)が献じられた。これを受けて蘇我馬子が寺院建立を発願し、596年に完成した。 当時は現在の約20倍もの壮大な寺院であったとされる。 ■百済から日本やってきた職人たち法興寺は百済からやってきた職人たちと、彼らに指導を受けた人々によって建立された。「日本書紀」の崇峻元年によれば、百済国が仏舎利や僧とともに職人を送ったとされる。その中には寺工(てらたくみ)が2名、鑢盤(…