岩波文庫162ページ「深重の罪根たとひ無端なりとも、此輩の深重担なり。この深重担、しばらく放行(ほうあん)して著眼看(じゃげんかん)すべし。把定(はちん)して自己を礙(げ)すといふとも、起首にあらず。いま行仏威儀の無礙なる、ほとけに罣礙せらるるに、拕泥滞水(たでいたいすい)の活路を通達しきたるゆゑに、無罣礙なり。」 深く重い罪の根は限りなく長いが、頭の中の考えに囚われ自分は仏と同じ状態だと思っている輩の罪は深く重くのしかかっている。この深く重くのしかかっている罪をとりあえず手放して大宇宙の真理に目を向けなければいけない。罪であるのにそれを捉えて自己と仏が同じだと考えても何も始まらない。坐禅して…