岩波文庫160ページ「しるべし、生死(しょうじ)は仏道の行履(あんり)なり、生死は仏家の調度なり。使也要使(しやようし)なり、明也明得(みんやみんて)なり。ゆゑに諸仏はこの通塞(つうそく)に明々(めいめい)なり、この要使に得得なとくとく)なり。この生死の際にくらからん、たれかなんぢをなんぢといはん。たれかなんぢを了生達死漢といはん。生死にしづめりときくべからず、生死にありとしるべからず、生死を生死なりと信受すべからず、不会(ふうい)すべからず、不知すべからず。」 知らなければいけない。生死は仏道の中に生きている中の実際の行動である。生死は仏の家の家具のように身近な物であり、使おうとすれば使いこ…