岩波文庫159ページ「すでに四生はきくところなり、死はいくばくかある。四生には四死あるべきか、又、三死二死あるべきか、又、五死六死、千死万死あるべきか。この道理わづかに疑著せんも、参学の分なり。」 すでに生については、胎卵濕化生という4つを聞いた。では死はいくつあるのだろうか。生が4つなら死も4つなのか。3つや2つということもあるのか、5つ6つ、千、万の死もあるのだろうか。こういうことをどう考えるかについて少しでも疑問を持つことも仏道を学ぶことの一部である。 生というのを普段は意識していないし、死は必ず訪れるとは思っていても通常は死を意識はしていない。しかし、生も死も常に瞬間瞬間この心身ととも…