玉川上水の分水路のひとつである田無用水の水路をたどって歩きました。暗渠(あるいは廃止?)区間も多く、田無市街地などではすでに無用になった一方、途中の畑の中に残る素掘りのままの水路は印象的でした。 江戸時代初期の田無村(現西東京市田無地区)周辺はその名前が示すとおり田んぼも畑も造れない、水に乏しい地域でした。1654(承応3)年に玉川上水が開かれましたが当初直接の恩恵は受けられませんでした。40年以上が経って1696(元禄9)年に玉川上水から分水の許可が下り、開削されたのが田無用水です。現在の小平市喜平橋付近で水を分け、田無村まで約6㎞の水路を開きました。周辺では田無用水のほかにも小川用水、鈴木…