明治時代に活躍した不遷流柔術家。(同流四世家元)
明治2年(1869)1月生まれ。明治23年(1890)警視庁柔術師範
寝技の伝統を受け継ぐ不遷流で講道館に対抗、講道館大阪支部の道場開きに際し道場破りを行い、嘉納治五郎以外にすべて勝利したという。
嘉納は対戦を拒否した。
皇太子時代の大正天皇が見守る中で、講道館柔道家の足関節を破壊したとも言われる。
その後、当時講道館とは別に段位などを出す独自組織、大日本武徳会の兵庫県支部で指導に当たった。
なお、読みについての資料が足りず、「たなべまたうえもん」は仮の読み方である。
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