宝永6年1月10日。大樹(将軍)が亡くなる。年は64歳。昨日、酒湯を懸られる。今朝辰の刻(午前7時)、女中の膝を枕に急に亡くなる。館林におられた時から瘡毒(梅毒)で、この度は瘡毒の者が疹を煩うと皆死んでしまう。
宝永2年4月22日。小普請竹野谷弥之右衛門が自殺する。初め大公の衆であった。瘡毒(梅毒)を患い、はなはだそれを憂いていたと。
宝永元年6月15日。夜、試楽が例年通り行われる。町奉行同心に坂加兵衛が仰せ付けられる。加兵衛の兄武兵衛は町奉行同心であったが瘡毒(梅毒)で目が悪くなり、鼻も近頃崩れてしまった。このため願い出て弟と交代する。