www.youtube.com 白戸三平(1)より:息子・登(三平)が誕生した年、特高に検挙・投獄されています。特高警察の拷問から脊椎カリエスを発症(力仕事ができなくなる)。その翌年に、小林多喜二の死顔を描いています。現実会の結成、日本美術会の結成に参加。1943年に共産党入党(1958年離党)。 そしてキリコらイタリアの形而上派やキュビズムの影響を受け、絵画の形式の否定への関心。ダダイズムに接近。後の作家、劇作家で演出家の村山知義と論争し友好を築きます。アナキズムやダダイズムをブルジョワ芸術の限界とみた岡本唐貴は、「人間集団主義による健康性に根差した絵画の復活」を求め、モニュメンタリズムの運…