宝鏡寺の南東角 小川通との辻「百々の辻」に応仁の乱の戦跡「百々橋の礎石」が一基保存されてます。 寺之内通に百々橋が架けられ、南北に流れていた小川を挟み百々橋を隔てて東西両軍が幾度か合戦を繰り広げた激戦地。 応仁の乱時この辺りには日野富子が逃げ込んだ小川御所が在ったり、大内裏のすぐ北、花の御所の西、他にも寺院などが建て込んでいてなんとも狭っ苦しい所に大軍が犇めいていたんですね。 6年前に来た時とは様子がすっかり変わっていて、「百々橋ひろば」として整備されてました。 百々橋は長さ7.4m幅4mの小橋で、他の三基の礎石も京都市内の小学校や公園に保存されています。 百々橋ひろば。左の大きな石が礎石。小…