國學院雑誌の10月号(通算1362号)に、近世史の根岸茂夫さんが「目安箱は民衆の意見を政治に反映させたのか」というコラムを書いています。享保の改革で将軍吉宗の善政の象徴として有名な目安箱の実態を、明快に説く。 享保6年(1821)7月に出された目安箱設置触書は、当時捨て文(政治や役人への批判を書いて人目につくように捨てておく、または貼り出しておく、今で言えば投書、ツイートのようなもの)が増えたので、その対応だったが、現実には小石川養生所の開設以外に実現された政策は殆どなく、目安箱に投書したために処罰された例はしばしばあった、とのことです。享保改革の初期には年貢増徴などがあって政治批判が高まる中…