日本の室町幕府における役職的な身分の1つ。将軍が殿中における宴席や他家訪問の際に随従する人々のことである。管領家の一族や有力守護大名に限定されていたため、一種の社会的身分としての価値が生じて幕府内の職制にも反映されて管領に次ぐ席次を与えられるようになった。その後、戦国時代に入ると、朝倉孝景や北条氏康など守護大名ではなくかつ在京して将軍に随従する事もない地方の戦国大名が任じられる例も増えて、役職としての意味合いは希薄化して大名の格式を示す身分としてのみ存在するようになった。
三好之長・元長・実休・長治の4代が並ぶ墓 三好氏の菩提寺であった見性寺にある三好一族の墓。 三好氏は、鎌倉時代に阿波の守護を務めていた小笠原氏の庶流で、承久3年(1221)の承久の乱の恩賞により、小笠原長清が阿波守護職を得たことが、小笠原氏が阿波と関わりを持つきっかけとなった。 守護職は、2年後には長清から嫡子長経に引き継がれ、長経は弟とも嫡子ともいう長房に譲ったといい、この長房の系統から分かれ、阿波国三好郡を本拠とした一族が三好氏と考えられている。ただ、鎌倉時代や南北朝時代の三好氏の動向は、あまりよく判っていない。 南北朝時代の初期には、小笠原一門は四国を勢力圏として確立しようとする細川氏と…
今度相州江御進発路次中御とまり*1おちつき*2振舞*3御法度 一、御膳*4ハ七五三*5たるへし、此外別の造作*6一切有間敷事、 一、御相伴衆*7・小性衆*8、合五拾人分ハ、汁二・引さい*9たるへき事、 一、其とまり/\ニ八木*10九拾石・大豆*11拾石、合百石事、 一、その知音*12ちかつき振舞事むよう*13たるへし、并八木以下少も出すましき事、 一、薪・さうし*14・ぬか・わらの事ハ不苦事、 右条数之外、かくし*15候て振舞又ハ兵粮出すニおゐてハ、可為曲事、関白殿*16より惣御人数に御兵粮被下うへハ、 二重に請取候ものをハ、八幡大菩薩・氏神*17成敗可被仰付候也、 天正十八年正月廿八日*18…
2024/8/10土曜日 4時半に起床。 5時に畑へ。 7/24に植えたミニトマト2つのうち1つは若芽が出てきた。 7/30に植えたミニトマト苗はまだ元気。 朝顔がやっと開花。 白い朝顔だった。 水遣りをしたら6時半に帰路に。 帰宅後、シャワー&洗濯。 ベランダガーデニングの水遣りも済ませたら、10時から読書と調べ物。 昨日に引き続き童門冬二著「立花宗茂 下巻」 立花城を攻めていた島津軍は豊臣軍が迫っている事を知り撤退する事に。 博多の街に火を付ける焼き払ってから。 後にこの惨状を見た秀吉は博多の復興に尽力した。 宗茂の母宋雲尼は秀吉に降伏した龍造寺政家の部下によって救出された。 が、弟の統増…
序文・御相伴衆 堀口尚次 相伴衆(しょうばんしゅう)〈御相伴衆とも〉は、室町時代における役職的な身分の一つ。将軍が殿中における宴席や他家訪問の際に随従・相伴する人々の事。管領家(かんれいけ)の一族や有力守護大名に限定されていたため、一種の社会的身分としての価値が生じて幕府内の職制にも反映されて管領に次ぐ席次を与えられるようになった〈ただし、三管領家も社会的身分としては相伴衆中の上位に位置づけられていたとする見方もある〉。 将軍の外出などに守護大名が随従する慣習は足利義満の頃には成立していたが、役職・身分としての相伴衆の成立は足利義教の永享年間であると推定されている。 戦国時代になると、朝倉孝景…
朝、善福寺川沿いを走ってきました。嫁さんは昨日、運動会延期の連絡を見過ごして、大慌ての一日でした。幸い無事に事なきを得ました。 「日本史1200人」514 河野通直(ミチナオ;1500〜1572) 伊予国の戦国大名・河野氏の当主。河野通宣の嫡男で1519年に父の死去にともない家督を継いだ。1540年には室町幕府御相伴衆に加えられた。自身に嗣子がなかったため、娘婿で水軍の頭領として有能であった村上通康を後継者に迎えようとした。しかし家臣団が反発し、予州家の当主・河野通存(ミチマサ)とも家督を争い、通康とともに湯築城から来島城へと退去した。その後、家督を通存の子・通政に譲って権力を失うが、通政の早…
クローバーが生えているのを見かけると Σ(☆ε☆ ) ついつい四つ葉のクローバーを探してしまい 待ち合わせの時間に遅れることがしばしばののろしですもく こんにちはもく v(ゝε・。) キャピ♪ 戦国IXA では 6月 の 追加武将 が 公開されました もく 追加されるのは 【 極 】斎藤義龍さん 筒井順慶さん 雑賀孫市さん 一条房家さん 【 特 】種子島時尭さん 大関高増さん 威徳院さん 【 上 】武田義統さん 【 序 】敷地藤安さん 以上の 9 名 ------------------------------------------------------------- 雑賀孫市【 極 】…
序文・身内下剋上 堀口尚次 斎藤義龍(よしたつ)〈大永7年または享禄2年- 永禄4年〉は、戦国時代の武将、美濃国の戦国大名、道三流斎藤氏の第二代当主〈美濃一色氏初代とする説もある〉、室町幕府相伴衆(しょうばんしゅう)〈役職的な身分の一つ〉である。 大永7年、斎藤利政〈後の道三〉の長男〈庶子〉として生まれる。母は側室の深芳野。幼名は豊太丸、元服後は利尚、高政と名を変えている。 天文23年2月22日から3月10日の間に、道三が隠居したため、美濃守護代斎藤氏の家督を継いで稲葉山城主となったとされる。この隠居は父・道三の自発的なものではなく、家臣の信頼を得られず、領国経営が円滑に進まなかったための交代…
男達の喉を切り裂いて血の海に沈めてやりたい。だが、心はこれ程に憎みながら拒めない己の躰こそ九にも八にも切り裂いて七里之濱に沈めたい。 朝日文庫時代小説アンソロジー『悲恋』 思慕・恋情編 作者:細谷正充,池波正太郎,南條範夫,北重人,山本周五郎,諸田玲子,澤田ふじ子,安西篤子 朝日新聞出版 Amazon 永亨十二年(1440)九月 鎌倉山之内 上杉邸 「俺はいつも兄貴の陰になる」 関東管領上杉兵庫頭清方は、全てに苛立っていた。その苛立ちは、昨日今日の苛立ちではない。 「俺の苛立ちはあの時からだ…」 清方は、寝間の上に胡座をかき、眼前の寝酒を徳利で呷る。 上杉憲実、清方兄弟は、関東管領山内上杉家の…