プロ野球選手。
1968年12月6日生まれ、大阪府大阪市平野区出身、身長181cm体重83kg。ポジションは捕手。右投右打。O型。
大阪市立桜宮高校から東北福祉大学を経て、1990年のドラフト会議で中日ドラゴンズから2位指名を受けて入団。ただし中日時代は星野仙一監督(当時)から捕手失格の烙印を押され、外野を守る事が多かった。
98年からトレードで阪神タイガースに移籍後は野村克也監督の下で捕手として大成し、監督が中日時代と同じ星野氏に代わっても正捕手の座を守った*1。
2003年、打っては打率.327、14本塁打、79打点、捕手としてもシーズン通して投手陣を引っぱり、チームのセ・リーグ優勝の原動力となり、「恐怖の7番バッター」の異名を持つことになる。
2004年よりシーズンオフ限定でABCラジオ「矢野輝弘のど〜んと来い!」のパーソナリティを務めている。
2009年オフに登録名を「矢野燿大」へ変更して臨むも、右肘負傷からの回復に目途が立たなかったため、2010年シーズン限りで引退。引退後も「燿大」表記のまま、解説者や、国際大会での代表チームバッテリーコーチなどで活躍。
2015年オフ、翌年より一軍監督就任が決まった金本知憲と共に、コーチとして阪神復帰。
ドラフト会議で名前を「てるひろ」と読み間違えられたため、中日時代は星野監督から「テル」と呼ばれていた。
女性ファンが多いことでも知られる*2。また、ヒーローインタビューでは「必死のパッチ」をよく使うことでもおなじみ。
年度 | 所属 | 背番号 | 備考 |
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1984〜1986 | 桜宮高校 | - | 甲子園出場なし。高山トモヒロと同級生 |
1987〜1990 | 東北福祉大学 | - | 佐々木主浩の1年後輩 |
1991〜1997 | 中日ドラゴンズ | 2→38 | 1990年ドラフト2位 |
1998〜2010 | 阪神タイガース | 39 | 矢野・大豊泰昭⇔関川浩一・久慈照嘉の交換トレード |
年度 | 球団 | 背番号 | 役職 |
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2016〜2017 | 阪神 | 88 | 一軍作戦兼バッテリー担当 |
2018〜 | 阪神 | 88 | 二軍監督 |
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