六月三十日、S――村尋常高等小学校の職員室では、今しも壁の掛時計が平常(いつも)の如く極めて活気のない懶(ものう)げな悲鳴をあげて、――恐らく此時計までが学校教師の単調なる生活に感化されたのであらう、――午後の第三時を報じた。大方今は既(はや)四時近いのであらうか。といふのは、田舎の小学校にはよく有勝(ありがち)な奴で、自分が此学校に勤める様になつて既に三ヶ月にもなるが、未だ嘗(かつ)て此時計がK停車場の大時計と正確に合つて居た例(ためし)がない、といふ事である。(中略) 午後の三時、規定(おきまり)の授業は一時間前に悉皆(しつかい)終つた。平日(いつも)ならば自分は今正に高等科の教壇に立つ…