私たちは自分を見つめずにはおれない存在だと思います。生きているのは自分自身ですから、自分は何を考え、何を感じ、どんな気持ちでいるのか、それを無視して生きることを考えることはできません。そして自分はああだこうだと言って悩んでしまいます。 私も牧師をしているとき、悩みました。自分より聖書をよく知っている信徒がいる。自分より深くものを考える長老がいる。自分より良い説教をする牧師がいる。自分には何の取り柄もない。そんな風に自分を考えて、自分を喜べませんでした。 ある時、思いました。そんな自分を承知の上で、神さまは牧師へ召してくださった。だから、自分について思い悩むのをやめようと。神さまの恵みに目を向け…