織田信孝(1558年〜1583年)
戦国武将、織田家臣。織田信長の三男。伊勢の神戸家に養子に入り、この名となる。 本能寺の変の時点では四国遠征の準備中で上方に滞在していたが、変の報により麾下の軍勢は四散している。その後、秀吉軍と合流して山崎の合戦に参加。 が、秀吉とは決裂し、柴田勝家らと組んで対抗しようとするが失敗、自刃に追い込まれている。
【中古】織田信雄 狂気の父を敬え /学陽書房/鈴木輝一郎(文庫)価格: 1586 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 織田信長の次男として生まれた信雄(のぶかつ)。信長が伊勢国の実権を握る、北畠具教を懐柔する手立てとして、国司となっていた具教の子具房の養子となった。文武両道の養父具教からは様々な教えを受け、具教に対して実父の如きつながりを感じていた。しかし信長から具教を殺める命が下る。実父と養父の間で苦悩し、自害を求める信雄に対し、具教は信長の命に従い殺害される道を選ぶ。時に信雄18歳。 信雄の初陣は長篠の戦いであった。1歳年上の長男信忠と共に戦の目論みを問われる信雄だが、2人とも信長が満足する…