今のこの状況を「どうにかして」と人に泣きつけるうちは、根底では生きたがっているのだからまだマシだ。自分自身が起点でありスイッチであり結果だということをわかっている。他人には不可侵な領域だとそこにいる全員がわかりきっていてもなお、他人を求めている。「なんとかなる」約束があるように。 もう今更、誰かに「どうにかしてよ」とは思わない。「どうしたらいい?」なんて訊くことはあっても、別に正答しなくてよくて、こっちの自問自答に近い。誰かの優しさが、「どうにかしてあげたい」とは言っても、そういう人は私より大人だから、「どうにもしてあげられない」ことは既にわかっているでしょう?成り代わる以外不可能なことを口走…